「性欲がない」は悪いこと? アセクシャルを知ると、生き方の自由が見えてくる
「性欲がないのって、おかしいのかな?」
この質問を、自分の中で何度も反芻してきた人は、意外と多いと思います。
恋愛の話題が当たり前のように出る社会の中で、
性的な関心を持たない自分に気づいたとき、
「もしかして私は欠陥品なのか」と感じてしまう人もいるでしょう。
でも、違います。
それは「足りない」のではなく、「違う」だけです。
■ アセクシャルというあり方
アセクシャル(Asexual)とは、他者に性的な欲求を持たない、または非常に希薄な人のこと。
異性愛・同性愛のように「誰を好きになるか」ではなく、
「性的に惹かれるかどうか」という軸で定義される指向です。
ただし、アセクシャルにも幅があります。
恋愛感情はあるけれど性的関係は望まない人。
恋愛自体に興味がない人。
または特定の状況や安心できる関係の中でのみ性を意識する人。
そのあり方は、本当に人それぞれです。
つまり【性欲がない】という一言では、
人の多様な感情やつながり方は語りきれないのです。
■ 「好き」が恋愛だけに限定されている息苦しさ
私たちは幼いころから、「好きな人できた?」と聞かれて育ちます。
中学生の修学旅行の夜、同じ部屋で「誰が好きか」を言い合う時間がありました。
次々と名前を挙げていく友人たちが、なんだかとても大人に見えたことを覚えています。
恋愛は、まるで“成長の証”のように扱われます。
だから、恋愛感情を持たない人は「まだ本気の恋をしていないだけ」と言われてしまうこともある。
でも、誰かを尊敬したり、一緒にいて安心できたり、
その人の幸せを心から願ったりする気持ちだって、
立派に“好き”と呼べるのではないでしょうか。
恋愛だけが“本当の愛”だとする考え方に、
少し息苦しさを覚える人がいてもいい。
そんな人が、自分の感覚を責めずにいられる社会であってほしいと思います。
■ アセクシャルの人にとっての人間関係
アセクシャルな人の中には、恋愛や性的関係を持たないが、深い信頼関係や穏やかなつながりを求める人が多くいます。
相手を思いやり、支え合うことで築く「パートナーシップ」は、恋愛の有無にかかわらず成立します。
中には、「友情結婚」という形を選ぶ人もいます。
恋愛ではなく、生活や価値観を共有できる人と共に生きる選択です。
お互いの性に対する距離感を尊重しながら、
家族のように暮らす——そんな関係を理想とする人もいます。
けれど、それはあくまで一例にすぎません。
友情結婚が向いている人もいれば、
一人のまま自由に生きることに安心を感じる人もいる。
どれも「正しい」「間違っている」という話ではなく、
自分の心が落ち着く場所を見つけることが大切なんです。
■ 性欲がないことを理由に、無理をしなくていい
恋愛が「当然」とされる社会では、自分のペースを貫くことはとても勇気がいります。
「相手をがっかりさせたくない」「普通の関係を築かなきゃ」と、
無理に性や恋愛を受け入れようとして苦しむ人もいます。
でも、誰かに合わせて無理を続けるより、
自分が心から安心できる距離感で人とつながる方が、
ずっと健全で、ずっと優しい生き方だと思います。
性的な欲求がないことは、あなたの個性の一部。
それを否定せず、受け入れた先にこそ、
本当の幸福や穏やかな関係が見えてくるかもしれません。
■ 恋愛をしなくても、豊かに生きられる
「愛」とは恋愛だけを指すものではありません。
誰かを理解しようとすること、
支え合おうとすること、
日常の中でふと「この人といてよかった」と感じる瞬間——
それらすべてが、立派な愛の形です。
だからこそ、恋愛をしない自分を否定する必要はありません。
恋をしなくても、結婚をしなくても、
あなたの人生はちゃんと“完成されたもの”です。
■ 他人を否定しないことが、自分を守ることにつながる
「自分はアセクシャルだから、誰とも恋愛関係になれない」
──そう感じる人もいれば、
「アセクシャルだけど、特定の相手とは一緒にいたい」と思う人もいます。
どちらも間違いではありません。
でも大切なのは、自分の感覚が【すべての人の正解】ではないということ。
SNS上で以下のような投稿をみかけることがあります。
「アセクシャルの自分でも、ゲイやレズビアンの人とならカップルになれるかもしれない」
アセクシャルであることは、あなたの素晴らしい個性の一つ。
けれど、同性愛者である人もまた、自分の指向を真剣に生きているという点では同じです。
誰かの「恋愛したい」という気持ちを、
「自分はそう思わないから」と否定してしまえば、
あなた自身の「恋愛しなくてもいい」という生き方も、
いつか誰かに否定されてしまうでしょう。
つまり、他人を否定しないことが、結果的に自分を守ることにつながるのです。
あなたの望みと、他人の望みは違う。
でも違うからこそ、美しい。
その“違い”をそのままに受け入れ合える社会の方が、
きっと息がしやすいはずです。
自分が「認められたい」と思うなら、まず他人を認めること。
それはアセクシャルであっても、恋愛をする人であっても、
誰にとっても変わらない大切な姿勢です。
■ MITRA運営より
MITRAは「友情結婚」をきっかけに誕生したサービスですが、
私たちが伝えたいのは「友情結婚をしてほしい」ということではありません。
私たちが大切にしているのは、「自分に合った生き方を選べること」です。
性欲がない人、恋愛を望まない人、
けれど誰かと一緒に生きたいと思う人。
そんな方々が、安心して自分の価値観を語れる場所があること。
それがMITRAの存在理由です。
友情結婚は、その一つの“かたち”にすぎません。
恋愛してもいいし、しなくてもいい。
結婚してもいいし、しなくてもいい。
大切なのは、他人の「普通」に合わせることではなく、
自分の「心の落ち着く場所」を見つけることだと思います。
私たちは、どんな生き方を選ぶ人も、
その選択を尊重し、そっと背中を押せる存在でありたいと考えています。